柳生新陰流の発祥の地、武士道精神を引き継ぐ剣道の聖地「柳生」での剣道は、貴方に新しい人生を与えるかもしれません。

訓と技

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Today's instruction

大目次

  

20190926 教えるは学ぶよりも身を肥やす。 試合展開を考えながらの基本打ちを学ばせよ。そして同じパターンを繰り返せ。 柳生立志斎訓  その十二  

ある程度、基本打ち、少なくとも、面と小手の気剣対の一致ができるようになれば、試合に出してもよかろうという判断になる。しかし、試合に出るとコテンパンにやられる。当たり前といえば当たり前で、技も未熟であるし、試合展開もわかっていないからである。

では、どうするか。この段階から、試合展開を考えた基本打ちの練習が必要である。直球が投げられると次は変化球となるのだ。

その変化球には応じ技もあたる。

しかし、この段階で大概、応じ技はできない。

だとしたら、何を教えるか。

どんな時にこちらから打っていくか。
難しくは、「起こり鼻」とか、「いついた時」とか。

しかし、こんなこと、いくら説明してもわからないと思う。

だとしたら、「こうした時に、これ。相手がこうしたら、これ。」と、パターンを作ろう。

ノートや日記に書く。毎週同じことを教える。もう十分、次を教えてと思うくらいまで復習をしよう。

そして、そのパターンを、あまり考えなくても使えるようにする。

型の練習のように、パターンを学ばせる。

それを自分でも復習する。

上の者も成長する瞬間である。

20190917 教えるは学ぶよりも身を肥やす。柳生立志斎訓  その十一

現代はYoutubeなどの動画が進歩したため、いくらでも、名選手の動画を再確認することが可能となった。

そのおかげで、剣道も他のスポーツと同様、根性論だけでなく、技術論を語って指導することが簡単になった。

そんな世情から、30数年前の大学時代にこのように教えられたらもっと上達しただろうにと、思いながら剣道の動画を見ている。

そして、拙いながら、柳生の小、中学生に指導もさせてもらっているが、動画から学んだ「このように教えられたらもっと上達しただろうに」と思ったことを小出ししながら剣道をしている。

これは、子供達のためにもなるし、年老いて体力が低下した老人リバイバル剣士の成長にも立つことだと思う。

いかにやる気を出させて、動画から学んだ拙い技術を教え、子供の成長を楽しむか。

これは、学校の勉強と同じである。

自分の子供はもう大きくなってしまったが、まだ、老人を成長させてくれる柳生の剣士たちがいることに感謝する。

教えることは再確認であり、新たな発見でもある。

それをしながら、老化防止、認知症予防ができることは、とてもありがたい。

まさしく、「剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である。」

20190912 声を出すことにより、己の立場を、自らが確認せよ。 柳生立志斎訓  その十

生きていることの証は、様々であろうが、「声を出せること」も生きている証である。

新生児が「声を出すこと」は、己の主張であり、「おぎゃー」という声で、周囲は生命を確認し、安堵感を得る。喜びや悲しみは、声に出る場合もそうでない場合もあるが、本能的には、声に出して、周囲にその意を伝えるのが鳥や獣も含めて、自分の存在を示しているということになる。

もちろん、人の世界では、先天的に声を出せない子供が生まれることや、発育段階で声が出なくなったり、耳が悪いため、正しい発音ができない人もいる。そんな人を蔑んでいるわけではなく、自然の摂理を解いていることを念を押して話を進めたい。

話は剣道に戻るが、剣道の掛け声は、剣道そのものである。

剣道では「気剣体」の一致がなければ一本にならない。素人にはわからないが、剣道界では常識である。

この違いを、具体的に示してみようと思う。

柔道はオリンピック種目だが、日本の伝統的武道である。その柔道をベースとして比べると、「気」と「剣」が余分である。

柔道には「剣」がないので、それは良しとして、では剣道における「気」とは何か。

それは、「内から醸し出される精神的な主張」であり、外から見たら「迫力」のことであるが、「迫力」自体は測定できないので、測定できるような客観的立場からのオブジェクトの測定、簡単に言うと「物理的なこと」を言えば、「声」である。

つまりが声が、よくなければ、一本にならないのである。

と考えると、「剣道で勝つためには、声が大切だと」いう当たり前の分析が成り立つ。

そして、「どのような声を、どんな時に発する」かは、場合によっては「面をどう打つか」とおなじように大切な、指導内容であり習得内容である。

つまりが、どんな言葉を、どんな音程で、どんな声量でどんなタイミングで発生するかが重要なのだ。

そんなことを考えると、ある面、「ショー」的なところがあるのは確かであるが、その指導の必要性もあると思う。

どうかっこよく見せるか。そのための練習。

変に思う必要はない。空手の形の試合など、ある面どう「かっこよく見せるか」だけだから。

剣道の声の指導も、そのような認識ですべきである。

そして、生徒も、そのような意識で、つまり「技を習うと同じように、声出しを習う」必要がある。

20190726 瞑想にて己の考えを導け。柳生立志斎訓  その九

学校や練習や日常生活で上司から言われた言葉は、とても為になるが、実行途中でなおざりにされることが多い。

最後は自分自身(己)。己に言い聞かせる言葉を、己で考えよ。

己で導き、己のものとすれば、誰の責任にもならず、己のみのものである。

生きるということは、己だ。

己がどうするか。

試合の前に向き合う己。

己に向き合う、時間をかけよ。

20190723 全てにおいて、先の先を打て。柳生立志斎訓  その八

中学生に告ぐ。あなたたちはよく練習をし、強くなった。後は自分次第だ。そこで、剣道の、あまりにも普遍的な掟を伝える。

先の先を打て!

つまりが先を考えるのが剣道精神。

この道理は何事にも通じる。試合前に何が起こるかをよく考えよ。ゲン担ぎに始まり、栄養、温度調整、睡眠、忘れ物、車中に行動、現地での練習、飲水、トイレなどなど。剣道日記があれば見直せ。

そして何で攻めるか、過去を復習し、学び直し、いいイメージを浮かべろ。

全てにおいて対策を練り直すのに時間と頭を使え。

されば、心が落ち着き、百戦危うからずだ。

そして、もし、たとえその場の戦果を逃したとしても、この習慣が身につけば、今後の人生において、全てに戦果を得ることとなる。

20190719 出小手の練習時にはもと立ちに面を打たせるような工夫から始めよ。 柳生立志斎訓  その七

待っていては遅れる。
こちらから誘え。
さすれば、小手が決まる。
誘い方は自分であみ出せ。

20190711 切り返しの刃筋を大切にせよ。 柳生立志斎訓  その六

切り返しの刃筋を大切にせよ。絶えず面に当てるつもりで打ち、面の高さで止めるよう、自分を律せよ。竹刀が下に滑り流れるのを避けるため横からの打ちになるな。格下の相手と当たる時の素立ちは、面で受けるか、面ギリギリで受けてやれ。

20190625 引き技は、相手の空くところを、こちらから作るべし。 柳生立志斎訓  その五

つばぜり合いは、もっとも緊張すべき場なり。すなわち、お互いにそのまま打っては、まず当たらず。その場では、いかに相手の空く場所を作らせるかに頭を使うべき。小学生よ。大人にスキを作らせてみよ。「うまいじゃん。」と言わせてみよ。

20190620 追い込んだ時の胴を練習せよ。これ至極意味あり。 柳生立志斎訓  その四

抜けていく時、引き技で下がっていく時の相手を追う時、面を打つことが数多あれど、相手も、こちらから面を撃ってくるのでははないかと先案し、面を避けるように構えたり、出後手や抜き胴を狙っていることは至極当然。然るべき時、面を打つ振る舞いを限界までしながら、胴や逆胴を狙うのは、なるほどと納得するほどの価値あり。「面打つぞー」と自分に信じ込ませながらの、瞬時の胴への転換、これまたおかし。

20190521 小手に対する応じ技は、①小手抜き面、②小手受け面をまず練習し、それができるようなれば、③あい小手面、④小手すりあげ面の順にマスターすべし。どの場合も、小手を誘う構を演出することを忘れるな。 柳生立志斎訓  その参

相手が小手を打たない限りこの技はできない。

しかるに、相手に小手を打たせるための演出が必要。

「こいつは小手が甘いから小手を打ってやろう」とか「中心を攻めれば小手があがるな」と相手が思うように、まあ、言わば弱い振りをして、単なるしょぼい「小手」を打たせる必要がある。

それを基本稽古の時に、小学生であれ、すべき。応じ技の基立ち側への、小手の誘いの練習を、剣先を裏表させて、すべし。

さばきは、後ろから前へ修練度により進め。こ手抜き面はもっとも後ろよりのさばき。次に受け。次にあい小手。小手すりあげはもっとも機敏な反応が必要。

そして、上記の順にマスターしていき、小手を誘っての、小手すりあげ面ができるようになれば、強くなれる。

加えれば、小手すりあげ面の剣先は常に面だ。

20190514 一足一刀の構えからの基本打ちは、左足を動かすべからず。かくあれば、出会い面、出小手、抜き胴が格段に上達する。 柳生立志斎訓  その弐

面打ちと出会い面は違う。小手打ちと出後手は違う。胴打ちも飛び込み胴と抜き胴は違う。それぞれが似ているようではあるが、全く違う技と思って練習すれば、上達しやすい。それらは、相手がやってくることを予測した仮想打点で勝負するため、間合い的には近くとなり、左足を動かしてはならない。

20190509 地稽古の時は、相手の技や癖を前もって知り、相手から自分が何を学ぶかの目的をもって、ある時は挑み、ある時は懇願しながら、相手に当たるべし。それをせざれば、地稽古は、ただの遊びにしかならず。目的を持たざる者は、無論、目的を達しないまま終わる。 柳生立志斎訓 その壱

何事も目的意識を持たないと物事は上達しない。予習をしない学問も上達しない。何事もだらだらと受けるなら、やっても無駄。勉強も同じ。ちょっとだけ前もって教科書の見出しを見たり、挿絵を眺めるだけでも、授業での学習結果には格段の差がある。というたとえ。オリンピックで金メダルと取ろうと思わないと金メダルは取れない。取ろうと思っても取れないのだが、取ろうと思わない限り取れない。

復習しながら教える技

#3 裏からの担ぎ面。(近い間合いから、離れて、緊張が取れた瞬間に有効なことが多い。)

#2 竹刀を低めに構えた後、上から小手を狙い、小手を打つ振りをしながら、右足を出し、右足が宙にある間に相手の竹刀を中心に竹刀を裏から反時計方向へ回転させて、小さく面を打つ。
(ねらい:小手受けに大きな動作をする相手には有効だが、相面を打たれると負けるので、どんな相手か見抜いた後行うか、初太刀でかます。)

#1 中心をせめて、面もしくは胸を狙って、相手の竹刀を表から抑えて、硬い相手には竹刀が返ってくるところを小手。竹刀が返らない柔らかい相手にはそのまま面。
(ねらい:相手の構えの硬柔を見極め、小手に行くか面に行くかの判断を習得させるにはよい基本練習となる。剣先、小手、面同時に見る必要があることと、出方によって作戦変更ができるようになる)

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