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20200325 トップ写真移動し保存
20190919 都祁の道場から遠征に来る。
毎年恒例の、都祁からの遠征。柳生も田舎だが都祁も田舎、田舎同士切磋琢磨。剣道に田舎都会は関係ない。あるのは精神の修養と身体の鍛錬だ。そして、それを生かした社会への貢献だ。
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6年生同士、来年は中学生になれるか!
20190913 剣道日本電子版に詳報が掲載される。
コラム 全校生徒50人の剣豪の里から 興東館柳生中(奈良)が初出場
元記事の『剣道日本』の「第49回全日本中学校大会の紙面に掲載されなかった熱戦の数々を詳報」はこちら→ https://kendo-nippon.co.jp/post-1284/
現在は奈良市内となっている柳生の里。剣豪ゆかりの地の中学校が本大会初出場を果たした。
人口減により平成27年に興東中と柳生中が統合され、興東館柳生中となったが、現在全校生徒数は約50人。その中で3年生は女子5人、男子5人、が剣道部と人数が揃った。本大会に出場を果たした女子チームはその3年生5人がメンバーで、1年生の女子1人が補員という構成。しかし3年生はたまたま揃っただけで、他には2年生男子が1人と1年生の女子が1人だけ。3年生が引退すれば2人だけになってしまう。
「来年ちょっとは入ってくる予定ですが、団体5人はなかなか組めないと思います。10年ほど前までは(旧柳生中で)団体が組めたそうですが、それからはずっと揃わなくて、この子たちの学年が最初で最後のチャンスだったんです。なかなか県内で勝てなかったのですが、最後だけ勝てて……」と浦久保治雄監督は話す。女子は全員が小学校からの経験者。柳生小学校の地域に柳生剣友会があり、そこで剣道をしていた。男子は初心者が2名いる。
全国大会出場のきっかけとなったのが、5月の奈良市民体育大会で強豪富雄中に大敗したことだった。そこから部員たちが変わったという。
「市民体育大会までは、僕ができるだけ稽古に行って、ああしろ、こうしろと言っていたんです。僕が来るまで稽古を始めないで待っていたくらいで、のんびりとしていました。しかしそこで負けてから、大将のお母さんが指導をしてくださっているのですが、ここで立ち直さなければ終わりやでと精神面の話もしてくださって。そこから僕が行かなくても稽古を始めるようになってきたんです」と浦久保監督。すると、6月にあった市の総合体育大会(全中予選ではない)では、富雄中にギリギリで勝利を収める。それで部員たちはますます本気になり、自分たちできついメニューを課すようになったのだ。
「僕は何も言っていないんです。逆に無理するなよ、って言うぐらいになりました。バテて試合に出たら行けないので、それだけ気をつけながら。最後の予選では先鋒の子が二本取って、それで勢いに乗ってなんとか勝たせてもらいました。普通は出るはずのない学校なんですけど」(浦久保監督)
そうやって臨んだ本大会では、予選リーグ1試合目で桜丘中(岐阜)に2─0で勝利。次戦も安積中(福島)に対し、先鋒中田千智選手が勝利を収め予選リーグ突破の可能性が高まる。しかし中堅、副将戦に敗れ2─1で惜しくも逆転負けを喫した。
初出場ながら充分に力を発揮したという結果と思われるが、大将の中田優希選手は、悔しそうにこう話した。
「目標は予選リーグ突破でした。上がりたかったです」
浦久保監督は技術と社会の教師で、剣道は三段。中学時代に剣道部をやめて、教員になってから剣道部顧問となって再開したが、その後バドミントン、サッカー、陸上などさまざまな部活の顧問を務めてきた。50歳を過ぎて体を壊して入院したこともあり、剣道部の顧問をできるところに転勤したいという希望を出し、たまたま統合で指導者がいなくなった興東館柳生中に赴任した。
「今は体調もいいです。子どもたちを育てようというより、自分の健康のため、最初の基本稽古から一緒にやって汗を流させてもらっています。逆に子どもたちに『無理しないで』と言われています(笑)」
元記事はこちら→ https://kendo-nippon.co.jp/post-1284/